コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。


山登りをやっていると、近年とみに山のトイレを汚いとか、臭いとか言って使いたがらない子どもが増えている。トイレのない場所で野糞をするしかない場合でも、下山するまでガマンする子どもがいる。この傾向は若者や若い親世代にもみられる。

あのね。乱暴に聞こえるかもしれないけど、野糞も出来ないような人間は、山登りなんかやるべきじゃないと、ボクは思うよ。どこか小綺麗な、管理された公園で遊んでいる方がずっと楽しいと思うよ。

自然の真っ只中に入っておいて、やれトイレがとか、やれ手洗いがとか、そういう価値観を継続させようとするのは、傲慢じゃないか。
と、ボクは思う。

床板が朽ちかけて踏み抜きそうな便所。跨った便器の下から吹く寒風にケツが晒される便所。堆積した糞尿が尻にまで届きそうな便所。これまでもそうした山のトイレ(この場合は便所と呼ぶほうがふさわしいか)に入ってきたが、そういうトイレに入るとこちらの度量が試される。

それに比べりゃ、君、野糞は天国だよ。

もちろん、私も滅多なことでは野糞はしませんよ。しませんが、する時はしますよ。その時の状況を想像してみて下さい。私のじゃなくて自分の!

野生の真っ只中にしゃがみ、おしりだけ露出することへの畏れと野趣!後ろから天敵が現れはしないかと、全神経を張り巡らせながらするあの時間。抜き差しならない環境。自分がまるで野犬にでもなったかのような、その時の気分。終わったあとは、「大地よ、ありがとう」と思うはずだ。

トイレのことで不平不満を言うのは、日本人くらいかもしれないよ。まあ仕方がないね。便座洗浄器を発明するくらいの国だからね。しかし、世界にはとんでもない場所がトイレだったり、トイレそのものがとんでもない代物だったりするんだよ。

西アフリカの大西洋に面した港に建つ城塞の中、奴隷として船に積まれるまでを過ごした黒人たちの部屋を訪ねたことがあるんだ。そこにはトイレそのものがないんだ。奴隷にはトイレさえ与えられなかったんだよ。やがて奴隷制が廃止され、その場所が解放されたとき、黒人たちが押し込められていた部屋には、堆積した糞尿が天井近くまであったそうだ。

ボクはその場所に立ち尽くし、言葉をなくしたよ。

押し込められた奴隷たちは、人前だろうとなんだろうと、生きるためにはそこでするしかなかったんだ。こんな苛烈なトイレがある?

糞尿まみれの部屋の中では、次々と息絶えていく者がいた。しかし、それでも生き伸びた者は、今度は船に積まれて大西洋を渡って行った。彼らは暗い船底に押し込められて、衰弱しバタバタと死んでいく。そうやって最後まで生き伸びた者だけが、北米や南米などに奴隷として売られていったんだ。想像を絶するとはこういうことだ。ほんの百五十年ほど前まであった世界規模の出来度だ。

戦争反対の人は、苛烈な状況の中でもトイレすることのありがたさを体験しておくといい。平和運動にもより説得力を増すと思うよ。なにしろ生きている以上、排泄は避けられないんだからね。なにがなんでも戦争をやりたい人は、当然どこでもやらねばならない。ただし言っておくけど、戦争を仕組む奴らは死ぬまでぬくぬくと綺麗なトイレを使うし、兵士たちは野糞するしかないということは覚えておくといい。

汚いトイレでしたからと言って、死ぬわけじゃないんだ。むしろ、出来ない奴から先に死んでいく。歴史がそれを証明している。

出るものは出して生きようとするか、糞尿にまみれて死ぬか。
大げさに言えば、選択はその二つに一つしかないんだ。

野糞をするということは、まさに生きる覚悟の印(しるし)なんだよ。

世界の苛烈なトイレを見て来て、ボクはそう思う。

親子山学校
関良一

追記:
写真は、大西洋に面したガーナのケープコーストの城塞。奴隷となった無数の黒人たちが押し込められた部屋の出口は、外の桟橋につながっている。そこから出ることは、永遠の別れと死を意味していた。奴隷制が廃止されたあと、その出口は硬く塞がれ、壁には「二度とここから出ることはさせません」という主旨の言葉が添えられていた。現在は世界遺産として公開され、後にオバマ米国大統領も訪れている。(1997年2月・関撮影)

補足文献:
「366年(1501から1867)にわたり、推定1250万人のアフリカ人を新世界に強制移住した環大西洋奴隷貿易はスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデン、北アメリカを含むヨーロッパ系植民者が関わり、その力関係、戦争の勝敗で主導権が移り変わった。

これほど多くの国々が参与したこの負の世界遺産は、ナチスのホロコーストや広島、長崎の原爆投下のように民族根絶の執念や戦争の憎悪によって生まれたものではない。金銀を始め、砂糖やコーヒー、チョコレート、たばこ、綿花、藍など、おいしいものが食べたい、贅沢品を調達してもうけたいという欲望がその動機であった。

遠くの国のもうけ話に投資するグローバルな経済活動、「抑制不能な」市場の力が安価で生産性の高い集団労働を求めた結果が悲惨な人身売買とアフリカ人の大規模な移動と離散を生んだ」(恵泉女学園大学「世界遺産ブログ」杉山 恵子(アメリカ史)より)


ガーナの首都アクラ郊外。仲良くなった子どもたちと(1997年2月当時)


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