キッズクラス

満4歳以上の子どもと親が、 一年間の低山トレッキングを通して <歩くチカラ>を育む「キッズクラス」―――。


2019年度キッズクラスの募集は締め切りました。冒頭の「挨拶文」を除いて、「募集要項」の部分の公開は終了しました。2020年度の募集は2020年2月半ばを予定しています。

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〜学びは反復する身体から生まれる〜

毎日のお仕事や子育て、お疲れさまです。今年もキッズクラスの新たな仲間となる親子の皆さんとの出会いを求めて、第9期生の親子メンバーを募集いたします。

親子山学校のキッズクラスには、首都圏に在住する200名ほどの親子メンバーが在籍し(大半が継続メンバー)、年間を通して毎月一度の山歩きをしています。

山登りをしながら親子の絆を育み、子どもたちの心身の発育に寄与することが活動の柱です。単純明快なこのスタイルは、2003年4月の創立以来、何も変わっていません。

世の中には子どもだけで参加する習い事はたくさんありますが、親が子どもと一緒に継続して参加できるものは少ないと思います。その意味では、親子山学校は特異な存在かもしれません。

ところで、日本も少子化が叫ばれて久しいのですが、子どもを取り巻く社会は良くなっているでしょうか?いじめは相変わらずなくなりません。最近では両親の虐待によって、幼い少女の命が奪われるという悲しい事件もありました。社会には貧富の差が広がり、情報の取得力や読解力のリテラシーにおいても格差が生まれ、人々の中にあった常識と非常識の境界さえ次々と崩れているようです。

そんな社会にあって陥りやすいのは、人と同じであることを良しとする空気が蔓延することです。異なるものへの拒絶や無視、偏見、差別。けれども、人と同じことをやればやるほど視野は狭まり、個々の心には孤立感が生まれます。その孤独を埋めようとして、自己愛と偽りの共感をSNSの中に振りまき、それを日々更新することに幸福を感じる大人が増えてしまいました。

私がこうしてまだ見ぬ皆さんにメッセージが送れるのも、進化したテクノロジーのおかげですが、しかし人間はテクノロジーだけで生きられるものではありません。まして、子育てはネットなどに依存できるものではありません。他人同士が顔を突き合わせれば、感情が衝突することもあるでしょう。でも、それが人間の本来の姿です。私たちの暮らしがテクノロジーによってどんなに変わっても、人間の欲求や感情の源は生理的なものです。これは太古からいささかも変わっていないのです。

空腹を覚えた時の、空っぽな胃袋を通して覚える食事への渇望。誰かを愛しいと思う時の、止めようもない思い。こうした人間の基本的な感情は、技術や論理より先に、身体を通して生理的に学び、獲得してきたものだということです。

親子の登山においても、生理的な身体動作を通して気づくことがたくさんあります。それも四季を通して、五感を生かした身体動作が基本にあるのです。特に子どもの心身の成長にとって、山登りは有意義な身体運動であることが実感できるはずです。

キッズクラスで登る山の数は、せいぜい五つか六つです。これを一年12回に分けて繰り返し登ります。ルートや季節が変わっても、訪ねる山域は毎年同じです。その繰り返す動作を退屈で意味のない行為と感じるか、あるいは反復する動作の中から気づきや学びを一つずつ獲得していけるか。皆さんには、それが試されます。

特に小さな子どもにとっては、繰り返す動作がとても大切です。一度では出来ないことや一度では分からないことも、何度でもリセットできて、繰り返すことによって、子どもはものごとの核心を掴み、身につけていくのです。

断言してもいいでしょう。こうした反復行為になんの価値も見出せない親子は、数回も参加しないうちに必ず辞めて行きます。山登りなどしなくても生きてはいけますが、繰り返す動作に価値を感じず、一つのことを継続できない者は、いつまでも真理に近づくことはできません。

もう一度、整理して言いましょう。

人間の営みは、思考と動作が直結してナンボの世界が長く続いてきたのですが、テクノロジーの進化によって「思考だけで瞬時に片付いてしまうもの」が増えたのでしょう。それも短絡的な思考が優先で、カラダが置いてきぼりだから、痛みも何も感じない。それが大人や子どもにもブーメランのように返ってきて、あちこちで心とカラダの回路がショートしている。それが現代と言えます。

見方を変えれば、身体性を重んじる子育てや教育、仕事ができているところは、必ず評価されるし、生き残れるし、世界に通用するでしょう。身体性を大事にしない行いには限界があり、あらゆる面で劣ってゆき、生理的にも間違っているのです。

まずは一年間、謙虚な気持ちで山登りに取り組んで下さい。

親子山学校
主宰 関 良一