コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。


「なぜ叱るのか」

最近はあまり叱ることもなくなりましたが、単に呆れることが増えただけで、叱る以前のことなのかもしれませんね。

しかし、呆れてばかりいてもろくなことは起こりませんので、そのうち叱ることがあるでしょう。

しかししかし、叱るという行為は、生半可なことではできません。本気で叱るから意味があるのであって、それには相当の覚悟が必要になります。かと言って、のべつ幕なし叱り続けては、ただの癇癪持ちと変わりませんからね。加減が難しい。

それに、本気で叱るとなると、それはもう血管切れそうになりますから、自分のカラダとよく相談もしなければなりません。「叱り死に」、なんていうみっともない死に方はしたくないですからね。


さて、キッズクラスにおいて、私が叱る場面の大半は、親に向けてです。叱ったことは覚えていますが、誰を叱ったかはほとんど覚えていません。なぜかと言うと、特定の誰かを叱るというのではなくて、その場の状態や空気が許せなくて私は全体に向かって叱るからです。

たとえば、二、三年前のことで覚えている場面の一つはこうです。

先頭の班が休憩ポイントに着き、登山道脇で休憩をしていました。そのとき私はリーダーでもサブリーダーでもなく、フリーな立場にいたと思います。

私が休憩ポイントにやってくると、先に到着した大半の親子が早々と休憩していました。しかし、そこには到着していない親子がまだ何人もいました。

私はそれを見て全員に向かって叱り飛ばしました。

「なにをのん気に休んでいるんだ?この班のリーダーはいったい誰だ!なぜ誰も遅れている親子を心配しない!なぜ誰も様子を見に行こうとしないんだ!」

この叱り、理解できますよね?

子どもの場合は、どの子を叱ったかはちゃんと覚えています。

キッズクラスに入って一年半ほど過ぎた子と、北八ヶ岳に番外編で登っているときです。その子は低山でも不平不満を安易に口にする癖がありました。不平不満を口にするのは、その子の精神力がまだ弱いからなのですが、我慢することを覚えない限りいつまでたっても変わりません。

この時も、私の後ろを歩いていたその子がブツブツと父親に文句を言い続けていました。目指すピークはもう目と鼻の先にありましたが、私は立ち止まり、クルリと向きを変えてその子に向かってこう言いました。

「おい。君はいったいいつまでそうやって文句を言い続けるつもりなんだ!君の文句はもう聞き飽きた。いいかい、苦しいからと言って山に登るたびに文句を言って終わるのと、苦しくても最後まで我慢してやり終えるのとでは、天と地ほどの違いがあるんだ。一度でいいからその口を閉じて、歯を食いしばって最後まで歩いてみなさい!」

私はその子の父親がそばにいてもお構いなしに、他の仲間もいる前でその子を叱りました。大人でも子どもでも、私は叱るときは全員の前で叱ります。当事者だけこっそり呼び出して叱るなんてことはしません。

苦しいのは君だけではないんだ。自分が苦しいときこそ、笑顔で仲間に気遣いできる人になってほしい。苦しいことに耐えられないなら、山登りなんかさっさとやめた方がいいのです。

でも、子どものうちから楽なことしか身につかない人間は、あとで苦労するぞ!そのとき泣いても遅いんだぞ!散々楽してきたこの私が言うんだから、間違ってないと思うよ。

顔で笑って心で泣いて。それが男の生きる道だよ、君!

親子山学校
関良一