コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。

草戸峠〜草戸山間の登山道


草戸山は高尾山の南に位置する南高尾山稜の一座で、標高わずか364メートルの低山です。アップダウンの連続するこのコースは、親子山学校のキッズクラスの親子にとっては、一年の仕上げの時期に登る山として打ってつけなので、毎年年度末の時期に登っています。

何度も歩いてきたはずの草戸山のルート上に、今まで見ていたとしても視界に入っていなかったのか、何も感じずにやり過ごしてきたものがあることに気づき、これに気づかずにいたことを恥じると共に、激しい怒りと悲しみが湧いてきました。

草戸山へは、京王線の高尾山口駅からスタートし、四辻を経由して南高尾山稜の尾根伝いに草戸峠に向かいます。草戸峠から草戸山の山頂までの、距離にして残り四、五百メートルほどある登山道の中間に差し掛かると、登山道に浮き出た木の根が視界に入ってきます。

その浮き出た木の根に、ノコギリか何かで付けられた、靴底の凹凸のようなギザギザの切り込み跡があることに気づきました。明らかに人為的な造作行為です。

すぐに推察したことは、これを実行した登山者は「こうすれば滑り止めになる」と思い、「良かれと思って」、「勝手にやった」のだろうということです。

近くの登山道をつぶさに見てゆくと、およそ10ヶ所ほどに同様の傷が木の根に施されていました。おそらく一人の人物の仕業でしょう。このような造作行為が、登山者としてどんなに醜悪であり、いかに間違った行為であるか、私の個人的な見解を述べておきます。

1・これらの木の根は地面から露出こそしていますが、死んではいません。すべて生きている根っこの一部です。

2・木の根が点在するその区間は、基本的には平坦な道であり、根っこが浮き出ているにしても歩行に手間取るような難しいコースではありません。しかも登山道としての幅員は十分にあるので、わざわざ木の根を選んでそこをステップ(足場)にしなくても、他にいくらでも平らでスムーズに歩けるラインを見つけることができるのです。

3・要するに、木の根をノコギリのようなものでギザギザに傷つけた者は、日頃からこうした根っこの上を足場にして歩く習慣が身についた人物で、段差の少ない平坦な足場が周りにあっても、そこを選んで歩こうという意識は皆無に等しく、自分が歩く先々の根っこにばかり神経が行ってしまう人なのかも知れません。はっきり申し上げて、登山者としてははなはだ未熟な素人であり、同時に自然を愛でる資格もない大馬鹿者です。

4・同様の行為を北米あたりにある自然公園の中で行ったら、その者は最悪の場合、逮捕されることでしょう。それほどの蛮行です。

5・親子山学校では「(雨の日などの)濡れた木の根を踏むと簡単に横滑りして転倒し、骨折などのケガをするから、濡れた木の根の上は絶対に歩いてはダメ」と子どもたちに教えています。晴れている日の乾いた木の根でも、それによってつまづいて転倒することがあるので、「足元の根っこに気をつけて歩こう」と教えます。ですから、どんなに小さな子どもでも危なそうな根っこを見ると、口々に「根っこ注意です」と教えてくれます。

6・そもそも、木の根は忌み嫌うような存在ではないはずです。根っこは地面を、森を山を支えてくれる役目を務めてくれています。私は子どもたちにはこういう話もします。「君も誰かに自分の足を何度も踏まれたら嫌な気持ちになるよね。この根っこだって生きているわけで、毎日毎日人間に踏まれ続けられるのはきっと嫌だと思うよ」。そう話すと子どもたちは「その通りだ」とうなずいてくれます。

けれども、自己中心的で視野の狭い登山者にとっては、登山道に現れる木の根はただの邪魔な存在にしか映らないのでしょう。だからノコギリを持ってきて、平気で根っこにギザギザを入れて、「これで踏んづけても滑りにくいぞ。よしよし」と満足し、むしろ「自分は良いことをした」と思っているのでしょう。





よほど目障りなのか、とにかくギザギザを入れる


ここなどまったく意味をなさない切り込み

そこらじゅうの切り込みを見ると、病的な執念さえ覚えて恐ろしい

登山道脇の斜めに伸びた根にまでギザギザが。一体誰がこんな場所の根っこの上を歩こうとするだろうか。

左に避ければ十分に平らな道が広がっているが・・

わざわざこの刻んだ根の上を歩こうとする人が何人いるだろうか

徹底してギザギザを入れたいらしい

高尾山を含めた周辺の山々には、このように本人が良かれと思って勝手に造作した道や看板などが想像以上にあります。国定公園や自治体の自然公園に指定されている山では、許可のないこのような造作行為は禁止されているはずです。

私たちも台風などのあとに、登山道を塞いでしまった倒木を除去するために、ボランティアで最低限の除去作業を行うことがあります。この時、気をつけているのは、やっていいことと、やってはいけないことのバランスを十分に考慮し、本来の環境を大きく変えるような造作や、生きている樹木や植物をそのために勝手に伐ったりするようなことは決してしないように細心の注意を払うことであり、多少の不便さが残っても「やり過ぎない」ことを心がけます。(それでも時には、余計なことだったかなと後悔することもあります)

草戸山の登山道に浮き出た木の根に、ノコギリでギザギザを入れた人物は、今どうしているでしょうか。これは私の勝手な推測ですが、この人物はそれなりに山に通い慣れた、それも結構な年配者かも知れません。そして、もしかするとこの人物は年齢的にはもう山には登れなくなっていたり、あるいはすでに亡くなっているかも知れない・・と想像してみます。

そうだとしたなら、たった一人の人間の身勝手な自己満足のために痛めつけられて、二度と元の状態に戻れなくなったあの木の根は、この先も何十年、何百年とあの場所でその醜悪な姿を晒しながら生き続けることになります。そのような傷を負わせた当事者はもうこの世にはいません。もちろん、なんら反省も責任も問われることなく、傷跡だけが半永久的に残される・・・。私たちは他の場所でも知らずに、あるいは良かれと思って、同じようなことをやっているかも知れません。

2022年1月23日
親子山学校
主宰 関 良一

追記:草戸山を下っていく途中で、偶然にも二人の「都レンジャー」※とすれ違ったので、件の根っこの場所のことを伝えました。私からは、登山者に向けてなんらかの啓蒙なりアナウンスを行って欲しいと伝えましたが、さてどうなることでしょうか。
「東京都レンジャー」は都内の自然公園を巡回しながら、利用マナーの普及啓発、動植物の分布状況の把握、盗掘等の監視、登山道や案内板などの点検・応急補修、森林の保全に関する業務、利用者への自然解説・ルート案内などを行っている都の職員。