ジュニアクラス

心身を育んだ子どもたちが、 より高い稜線をめざす「ジュニアクラス」。 歩くチカラから、生きるチカラへ! (写真:八ヶ岳、東ギボシの山頂手前を行く子どもたち)


親子山学校のジュニアクラスは、小学校6年生で卒業するまで山登りをやり続けることを絶対条件に集まった親子で構成されています。2021年度は14家族、親子40名が在籍。8名の6年生を含む19名の岳童がおります。

6年生ともなると長い子では4歳頃から山登りを始めており、キッズクラスを経てジュニアクラスに上がってからは奥多摩の山々、八ヶ岳の山々、甲斐駒ヶ岳や北岳などの南アルプスも経験しています。

そうした6年生たちと先日、季節外れの春合宿を行いました。親子山学校の合宿は山登りは二の次、三の次で、徹底的に話し合い、考える時間を大切にしています。その多くは山登りとは関係のないテーマだったりします。そもそも「君はどういう人間なのか」と哲学的に問いかけ自問自答させてみたり、音楽が好きな子であるなら「変化のある山道を音符(楽譜)と思って歩くと楽しいかも」と想像することの楽しさを吐き出させたり。登山に限定しない自由な思考を経由して「イメージできたら、やってみよう」という考えで取り組んでいます。

最終日、合宿に参加した子どもたちには作文を書いてもらいます。ここに紹介させていただく作文は、6年生の野上公鶴くんが書いたものです。彼もまた4歳頃から親子山にやってきて、気がつけば今年が最後の年になりました。昨年来のコロナ禍で必ずしも満足のゆく山行はできていませんが、この作文をお読みいただければ、彼がここまで経験してきた山登りがどれほど素晴らしいものであったか、その想像力や表現力の高さが窺われると思います。

本人の書いた息吹を感じてほしいので、表現の誤りや誤字も原文のままで掲載しています。また名前も了承を得て本名で掲載しています。
感想などありましたら、info@oyakoyama.com までお寄せ下さい。

2021年6月22日
親子山学校
主宰 関 良一


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                                                     作・野上公鶴

 すみを流したような夜だった。星や月の光さえなくどこまでも暗さが広がっている。

 ここは日本のどこかの山。森の木々たちは静かにねむっている。だが、この山の中で光っているものがあった。その光をはなっているのはある山小屋だった。その小屋からは、男女の話声(ママ)がかすかに聞こえる。そこにいるのは親子山学校のせいとであった。ジュニアクラスはだいたい一年生から六年生まででへんせいされていた。親子山は名の通り、山で学ぶ学校であって、山という自然の全てが校舎であった。

 今、話声が止まり明かりが消えた。ねるにはまだはやい時間だが、明日のため体力をおんぞんしなければならない。

 次の日、朝からどしゃぶりであった。木々は龍のようにうねり、山小屋のマドにはまるで雨がなぐるようないきおいであたってくる。雨の音でまわりの音が聞きとりずらい。

 親子山の児童は、とてもはやくおき自分のねたふとんをたたんでいる。上の子がおわると下の子を手つだうこうけいが見られる。そしてねるへやから出て雨の中、食どうに向かうのであった。朝食は白米、おすいもの、つけものに野菜、のり、豆などだった。ここの山小屋のおこげはおいしいらしい。もくもくと食べる者もあれば、にぎやかにしゃべりながら食べるものもいる。

 数十分後、全員食べきり外に出た。すでにレインコートをはおっており雨から体温をしのいでいる。朝食がおわるとすぐに出発した。

 雨で木の根っこや石はすべりやすく、雲で日光がさえぎられているので足元が見えずらい。出発してすぐだんがいぜっぺき。落ちたら重病(ママ)または死ぬかもしれない!しかし…!山学校の児童はおそれず、ゆうゆうと歩んでいくのである。

 だんがいぜっぺきのあと登りが続く。それから10分ほどたって、前よりまして雨風が強くなった。木の葉がざわめき、木々が龍のごとくうねった。風が人々の体をおし、レインコートが、バタバタとはためき、フードはうしろにいってしまう。雨と共に風がすはだにあたり、いたく感じる。

 だが!親子山のせいとはこれらのことを全て楽しみとして感じられる者たちなのだ。

「ウオー雨ダー風ダー強風ダァー」と(これはあくまで心の中での言葉です)。これは常人ではありえないかもしれない。レインコートのすきまから少しずつ雨水が入りこみ、強い冷風で体が冷やされる。たぶん「ヒー寒いよー帰りたいー」となるはずだ。そう考えるだけで、親子山はとてもすごいのだ。

 地面がぬかるみ足をあげるごとにクチャクチャと音がなる。雨のザァーという音が頭の中にひびく。だれも言葉をかわさない。だが高学年はつねになにかを考え、それをどうするかを意しきしていなければならない。

 だが前言も良いが、あるいているとちゅうや休けいの時間、仲間と話すことも、とても重ようである。

 休けいに入った。立ったまま休み、のどをうるおす。休けいのときなどはなるべく、エネルギー補給や塩分補給する。思ったより、エネルギーを使うし、汗が出て、体内の塩分が出ていってしまうからだ。あまり長い間休けいすると体温が下がってしまうので、短めの休けいだった。
 
 へびのようにうねりのびている木の根。雨の時ほどきけんだ。大きなだんさ。足本(ママ)には気をつけなければ。しかし山学校の者はこれらのことはできている。もっとべつのものに目をむけなければ。

 それから数時間後、山頂のふもとに(ママ)についた。雨はやんだものの、霧が出はじめ今は10m先が見えないほどになっていた。

 さて、ドドッ!ここからがしょうねんばである。

 ここから約30分ほどきゅうな登りが続くのだ。クマザサが両わきに生えたきゅうとうをひたすら登ってゆくのだ。児童たちは、この霧という湿気の中、前よりもまして汗をかきながら上を向いて登っていくのであった。汗が口に入りしょっぱく感じる。山頂まであと少し。高学年が「後ちょっとだがんばれ」と、みんなをはげましている。

 山頂についた。山頂にも他の登山客はいなかった。自分の息づかい以外、シーンと静まりかえっている。この暗い山頂を霧が移動していくこうけいがまた、げんそうてきであった。休けいの号れいがかかり、みな山頂の岩にドッカリとこしをおろすのであった。

                                    (終)
©kimitsuru nogami, oyakoyama-gakko