キッズクラス

満4歳以上の子どもと親が、 一年間の低山トレッキングを通して <歩くチカラ>を育む「キッズクラス」―――。


2021年度の6年生の卒業生は14名ですが、そのうち6名がキッズクラスで山登りを続けた子どもたちです。6人とも男子です。高学年になった5年生から、大人も混ざった班のリーダーやサブリーダーをやらせ、6年生としての最後の一年まで子どもリーダーを続けてもらいました。

普段住んでいる町や通っている学校は別々ですが、彼らは月に一回の親子山学校の山行を、短い子では五年間、長い子は足掛け九年間続けてきたので、山登りの時に何をやるべきかを良く知っています。ですから、高学年になってからの二年間の中で、私から彼らにああしろこうしろと教えることは何もありませんでした。謙虚に山に向き合ってくれる彼らは、ある意味大人以上に頼れる存在でした。

卒業まで残りふた月となった今年(2022年)の1月末、入笠山のマナスル山荘でキッズクラスの6年生を前に、私は生涯で初めての授業を行いました。題して「人間について」。6年生まで純真に山登りに取り組んでくれたこの子たちに、私は哲学的な対話を試みたのです。

私にとっては初めて行う授業でしたが、授業「人間について」は今から50年以上も前に行われたものでした。時は1971年2月19日、場所は福島県郡山市立白岩小学校の6年生の学級。授業を行ったのは林竹二(1906年〜1985年)という、東北大学名誉教授や宮城教育大学の学長を歴任した教育哲学者でした。



半世紀前の林竹二が子どもを相手に「人間とはなにか」と問いかけた授業の白眉は、ケーラーというドイツの心理学者が動物を使って行った実験でした。人間なら子どもでも出来たことが、犬のように賢いとされる動物でも出来なくなる、その違いを分けるものは一体何なのか・・。林竹二はあえて子どもに向かって「あなたは真に人間と言えますか、それとも動物(けもの)ですか」と問いかけ、その問いに子どもがしっかりと向き合える力があることを証明してみせたのです。

毎月の山登りを粛々と続けてきたキッズクラスの6年生たちも、高学年にふさわしく背丈が伸び、声変わりが訪れ、幼い少年の顔立ちから抜け出しつつありました。思春期の訪れに加えてコロナ禍の影響もあってか、山を歩く彼らは内省的な時間の中にあったと思われます。

改めて自我に目覚めた今こそ、林竹二が試みたあの授業をぶつけてみよう。親子山学校での山登りの仕上げを迎えた6年生たちを、あえて「人間について」探求する哲学的な時間の中に没入させてみよう。まるで初めての山の奥深くへと分け入っていくように・・・。それが私の意図でした。

私は林竹二が半世紀前に行ったこの授業について書かれた本や資料を調べ、授業の核心がどこにあるかを探りながら再現を試みました。小学校の授業時間と同じように、45分で終わることを心がけました。教師でも哲学者でもない私がかろうじて授業もどきのことをやれたのは、長い年月に渡って山登りをしてきた子どもたちとの関係が唯一の拠り所でした。

林竹二の授業の再現を終えた私は、子どもたちに感想文を書いてもらいました。その中からユウキ君という6年生が書いた感想文を紹介します。



「授業を受けての感想
今回、関先生の話を聞いて感じたことは「人間とは何か」という問いに対して、僕は人間とは「本能(欲望)を理性と知能を使って実現させる生き物」だと僕は、思いました。それはなぜかと言うと理由は3つあります。

1つ目は、話の中で出て来たケーラーの実験です。ケーラーの実験では、犬を連れて来てフェンスの向こう側に大好きな餌を置いて取りに行くのですが、1回目は何とか抜け道を見つけて通れたけど、2回目は餌の距離を短くしてやったら犬の嗅覚がやられて、本能任せになって取ることが出来なくなったけど、人間はそれをコントロールできるからです。

2つ目は、我慢です。

好きなことをやりたい(僕ならゲーム)という本能を理性や知能で我慢すると言う事です。我慢が出来ないと皆やりたい放題で社会崩壊すると思うからです。

3つ目は、発展です。人は、欲望と欲求を実現させる為に理性と本能を使いました。例えば、電子機器や建築物です。理由はもっと便利にしたいと言う人間の欲求を知能と理性を使って実現したのです。

僕はまだ実現したい事は見つかっていないけど、もし見つかったら本能任せにせず理性と知能を使って実現させようと思います」




この感想文を書いたユウキくんは、山歩きをしていても根気が続かず、大好きなカブトムシやゲームの話をしながら歩くような子でした。保育園の年長からご両親と一緒に親子山学校に参加して来ましたが、4年生までは山に来てもずっとこんな感じで、5年生になってサブリーダーやリーダーを任された当初も、班の先頭を歩いていても自分勝手なペースでどんどん先に行ってしまったり、歳下の子を捕まえてはカブトムシの話を延々と始めたりで、山歩きのような単調な運動を続けることがとても苦手な子だったのです。

そんなユウキくんでしたが、6年生として迎えた一年間で徐々に変化が訪れました。無駄話をしなくなり、後ろに続く小さな子たちのペースを考えて歩調を保ち、足元の段差や木の根や岩などを上手に避けて歩きやすいラインを選びながら先頭を歩く。今までは自分の世界にしか興味を持てなかった子が、こんな風に全体を俯瞰し、相手のことを考えて行動できるようになったのです。

そして1月に受けた「授業・人間について」の感想が上記です。この授業の核心になるキーワード「理性と本能」こそが、人間と動物を分けるものであることをユウキくんは見事に理解しています。かつての自分は本能に縛られた生き物であって、そこに理性は働いていなかったことをユウキくんがはっきりと自覚したことが感じられます。このような感想は、他の子どもたちにも共通して見られました。

卒業を二ヶ月後に控えたこの時点で、ユウキくんをはじめとする6年生たちが「人間について」深く考える時間を持てたことは、この先の彼らにとって自分の軸足の置き場をしっかりと認識してもらえる貴重な体験になったと思います。

先日の親子山学校の卒業式後の謝恩会でも、ユウキくんは「嫌から楽しいに変わった親子山学校」と題した原稿用紙5枚に渡る作文を読み、「特に冬のマナスル山荘合宿の授業では、ケーラーの実験や本能と理性の話などに、深く考えさせられました」と書いていました。14人の卒業生が書いた作文の中で、授業のことに再び言及したのはユウキくんただ一人であったことからも、彼にとっては忘れられない授業になったのかも知れません。

2022年3月31日
親子山学校
主宰 関 良一


冬合宿で授業を受けたキッズクラスの6年生(2022年1月入笠山)


【参考文献】
「授業 人間について」林竹二(国土社)
「学ぶこと変わること・写真集・教育の再生をもとめて」林竹二(筑摩書房)
「問いつづけて・教育とは何だろうか」林竹二(径書房)

いずれも絶版