雑巾がけ
「雑巾がけ」
雑巾がけと言っても、政治家フゼイが
「一年生議員ですので、一生懸命雑巾がけさせていただきます!」
という、どうでもよいアレではありません。
先日、キッズクラスで登った石老山を下山し、子どもたちと
車道沿いに歩いていたときです。
私は小2の女の子と並んで歩いていました。
何がきっかけでそういう話になったかは忘れましたが、
その子は、通っていた保育園時代のことをたくさん話してくれました。
その保育園では、年長になると廊下やホールなどの
雑巾がけを毎朝やるんだそうです。その様子を彼女はまるで、
今朝もやってきたような高揚した顔で熱心に話してくれました。
「雑巾がけは、足腰を鍛えるにはいいんだよ」と私が言うと、
彼女もよほど楽しかった思い出らしく、納得の表情を浮かべていました。
「毎日雑巾がけをやってきたから、今ちゃんと歩けるんだと思うよ」
と私が言うと、彼女もコクリとうなづきました。
「しかし、毎日やってるとその雑巾も真っ黒になるだろうね」と聞くと、
再び彼女は「そう!洗っても洗っても真っ黒けで、どれが自分のかわからなくなる」
と、これまた今朝もやってきたような感じで熱を込めて話すのです。
近くの森にみんなと散歩に行く日課のことも教えてくれました。
どこどこは近くて、どこどこは遠いとか、そうやって毎日のように
保育園からあちらこちらに園児たちと歩いた日のことを教えてくれました。
田植えや稲刈り、脱穀をしに園児たちが新潟まで出かけて行く話もしてくれました。
彼女はとても良い保育園時代を過ごせたんだなぁと、つくづく思いました。
まだ子どもである彼女が、そうやって今よりも幼かった二、三年前のことを
瞳を輝かせながら、昨日のことのように振り返られるということは、
いかに濃密で素敵な時間を過ごしてきたかの証です。
彼女は山登りでも力強く歩けていますし、ごはんもモリモリと
食べる女の子です。彼女のそういうたくましさは、親子山学校に
くる前の保育園時代から養われてきたことがとてもよく分かりました。
いつも言っていることですが、親子山学校でただ山登りしただけでは、
子どものココロとカラダがたくましくなれるものではありません。
日常生活でどれだけ子どもが心の底から気が済むまで、とことん夢中に
なれることに向き合えるかが大事なんです。
それも、彼女のように、小さなうちから毎日の生活の中で繰り返すことや、
仲間と一緒にやり遂げることが大事なんですね。そういう中から、
子どもなりに社会性を身につけ、子どもなりに生きるチカラを養っていくのです。
子どもらしくココロとカラダを総動員させて、楽しく没頭できる生活や
環境がいかに大切かが分かります。
親子山学校の山登りも、子どもたちの輝かしい思い出になれるだろうか。
私はこの日、小2の女の子から学び直しました。