コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。

井上ひさしさんと筆者(2003年、イタリア・ボローニャ)


第八回「拝啓 井上ひさし様」

 拝啓 井上ひさし様
ご無沙汰しております。井上さんがあちらに
旅立たれて何年になるでしょうか。現世では
大変お世話になりました。井上さんと初めて
仕事をしたのは二〇〇三年十二月でしたね。
テレビ番組の取材でイタリアの古都ボローニ
ャをご一緒しました。田舎の芝居小屋で撮影
の準備をしていた時のことです。井上さんは
客席に座って静かに取材ノートをつけていま
した。私はその年、テレビの仕事の一方で親
子登山の活動を始めたばかりでした。

 「親子登山の良い指南書がないので、その
手の本を書くのが夢なんです」と私がスタッ
フに話しかけていると、それを聞いていた井
上さんが顔を上げ、「関さん、それは是非おや
りなさい」と言ったあと次のように続けました。
「ただし、良い本というのは文章だけで伝え
られるものです。写真や図に頼ることなく、
言葉の力でどれだけ表現できるかが大事ですよ」

 九年後、私は念願の本を出しました。この
本を真っ先に見てほしかった井上さんは、出
版に先立つ二年前に旅立たれていました。山
の指南書という性格もあって、写真やイラスト
入りの本でした。井上さんの教えを守れなか
った恥ずかしさはあったけれど、私は頑張っ
て書きました。

 さらに年月が過ぎました。私の山学校に通
う六年生が、登山にちなんだ研究発表でスク
リーンに画像を映しながら発表したいと言っ
てきました。私はそれを却下しました。「あ
なたの原稿はとてもよく書けているのだから、
それを読み上げるだけで大丈夫。画像を見せ
ればそっちに引きずられて言葉の力が半減し
ます。言葉の力を信じなさい」と言って発表
させました。

 あれから二十年。井上さん、私も子どもた
ちも余計なものは極力省きながら、今でも山
登りを続けています。

(初出:月刊『女性のひろば』2024年3月号)

■井上ひさしプロフィール(井上ひさし公式サイトより)
https://www.inouehisashi.jp/profile.html
■関連図書
『ボローニャ紀行』井上ひさし(文藝春秋・文春文庫)


文:関 良一(親子山学校主宰)