コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。

雲取山を15キロを縦走して下山してきた子どもたち(奥多摩・鴨沢)


第九回「悠々として急げ」

 H君は下りが苦手な子です。下りになると
腰が引けて前をゆく仲間とみるみる距離が開
きます。山学校に来て四年目の小4ですから、
ここらで苦手意識を克服しないと先々の山登
りが苦痛になります。そこでH君と二人で下
山してみることにしました。山用のストック
を使ってその両端を彼と私で握り、棒で繋が
った状態で私がたどるコースをなぞるように
H君に歩いてもらいました。父親には私たち
の後ろを歩いてもらいました。勾配のある下
りに差し掛かると足元の凹凸も激しくなりま
す。どんなにジグザグになろうと、私は徹底
して段差の少ない平らな足場を選んで下りま
す。坂道だろうとスピードを上げてぐんぐん
と下って行きます。下りは急がず慎重にと思
いがちですが、あえて速度を上げて歩かせた
のです。

 この時の様子は父親曰く、「駆け抜けると
いう表現がぴったりのスピードだった」そう
です。このあとストックをやめてH君を先頭
にして歩かせ、今度は後ろから彼の歩きを観
察しました。逡巡しながら下っていれば、両
足は内股気味になってブレーキをかけようと
します。しかしH君にそんな様子は微塵もな
く彼の体幹は滑らかに移動できていました。
スピードを上げたことで戸惑う暇もなく、転
びたくないという気持ちから彼の動体視力が
最大限に活性化されたのです。そしてスピー
ドに呼応できた身体には心地よいリズムが生
まれていました。

 ピアノを習っているというH君に、下山後
こう話しました。「山道は楽譜のようなもの
だよ。音符や記号にそれぞれ意味があるよう
に、山道に現れる根っこや岩や段差は音符。
譜読みができるまではゆっくりと繰り返し練
習する必要があるけれど、理解してしまえば
指先が勝手に動いて流れるように演奏できる
だろ。山もそれとおんなじなんだ」

(初出:月刊誌『女性のひろば』2024年4月号)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)