道を譲るということ
鴨沢から石尾根に向かう登山道は、梅雨のさなかのごく普通の週末にも関わらず、様々な登山者がひっきりなしに登っていました。少し歩くだけで、前を行く登山者に接近する。あるいは他の登山者が次々と追い越していく。そんな状況が終始つづくブナ坂の登りでした。まさに、空前の登山ブームを反映する光景でした。
私たちのメンバーは、親子2組と私の5人です。親子山学校の山登りは、常に一定のペースを保って歩きます。よほどの急勾配でない限り、登りも下りも同じペースで歩きます。言い方を変えれば、多少のアップダウンがあっても、同じ歩調で歩ける無理のないペースを心がけています。
いったん歩き始めたら最大で1時間ほど、短くても30分は休まずに歩きます。休憩は最大で10分、短くて5分。これをひたすら繰り返して歩きます。
もう一つ心がけていることは、常にほかの登山者がスムーズにすれ違いできるように気を配っていることです。狭い登山道では当然一列に、広い道では最大でも二列縦隊です。その場合、登山道の片側は必ず空けて歩きます。そうすることで、前後から登山者がやってきても、こちらはいちいち立ち止まらずに歩き続けられます。
山腹を巻くように山側と谷側に沿った道の場合、私たちは谷側を避けて山側を歩きます。谷側の幅員が狭い場合は、すれ違う相手が安心できるように、私たちは必ず立ち止まり、通過できるスペースを空けて待ちます。
あるいは、先頭を歩いている私が後から登山者が追い越してくるのが分かっても、片側に十分な余裕があると判断したときは、隊列を止めずに歩き続けます。それでなんの問題もありません。
車道で言えば、追い越し車線があるのに、いちいち車を止めてすり抜ける車を待つドライバーはいないはずです。それと同じことです。
勾配の激しい場所で、こちらが下りにあるときは、なるべく足場が安定した場所で隊列を止めて、登ってくる登山者のためにルートを空けて待ちます。こういうことは、よちよち山からジュニアクラスまで、一貫して実践しています。
親子山学校にやってきた初心者親子も、半年もしないうちに、自然に対処できるようになります。子どもでさえ「後ろから登山者が来られまーす!」などと声がけをしてくれます。低山の場合ですと30人、40人という大所帯で歩くことが多い私たちですが、絶対に他者の迷惑にならない存在でありたいと心がけています。
よそのパーティーでも、こうした配慮が行き届いた団体に出会うと、素敵だなあと思います。
話を雲取山に戻します。
広い石尾根に上がるまでの長い長いブナ坂を登っていく最中、私たちは何度も前を行く少人数のパーティーに接近し、そのつど追い越すこともままならず、困惑する場面にさらされました。
たとえばこんなこと。
こちらは決して早いペースで歩いていたのではありません。最初のうちは50メートル以上先を歩いていた5人くらいのパーティーに、気がつくと急接近しています。様子を見ていると分かったのですが、少しでも勾配のある箇所に差し掛かると、先行するパーティーの歩調が急激に落ちるのです。そのため、接近してしまうのです。
先頭を歩く私は、先行するパーティーの最後尾を歩く男性の、背中に手が届くほどの距離まで接近しています。最後尾の男性がチラっとこちらを振り返ります。気づいてくれたかなと思っていると、男は黙ったままです。
こちらも、プレッシャーはかけたくありません。かといって、私たちもほど良いペースで歩いているので、立ち止まっていったんスペースを空ける気分にもなれません。相手が気づいてくれて、私たちのために道を譲ってくれることに期待します。
最後尾の男性はその後も何度もチラッチラッと背後を振り返るのですが、先頭の仲間に声をかける様子がまったくありません。先頭の男性もまったく後を振り返らないので、誰も気づかない状況が続いています。複数の仲間と縦列で登っているとき、先頭を歩く者が、こまめに後ろを振り返らないのが私には不思議でなりません。
そのうち、最後尾の男性もさすがにマズイと感じたのでしょう。やっと先頭に声をかけ、私たちは無事に追い越すことが出来ました。
似たようなことは他にもありました。接近してしまったのは、二人の中年のご婦人です。こちらの二人は終始おしゃべりをしながら歩いています。真後ろにまで私たちが近づいていても、まったく気づく様子はありません。九十九折の箇所になって、ようやく彼女たちの視界に私たちが入ったのでしょう。やっと気づいて道を空けてもらえました。
もちろん、私たちは「ありがとうございます」と言うだけで、決して文句は言いません。それにしても、こんな調子だと後ろをクマが歩いていても気づかないでしょうね。
さらに、こんなこともありました。
男性ばかりの10人ほどのパーティーです。この団体とも、すでに何度も抜きつ抜かれつを繰り返していたのですが・・・。10人のパーティーを先行させて、私たちとの間隔も十分に空いたとホッとしながら歩いていくと、前方の登山道脇でくだんの10人が休憩をしていました。私はそのまま彼らを追い越すのが得策と思い近づいたとたん、彼らがいっせいにザックを背負って歩き始めたのです。
私たちと彼らは再び団子状態になってしまいました。私たちが接近していたことは彼らにも分かっていたはずです。それでもスタートする以上は、それなりの早いペースで歩いてほしいのですが、彼らは勾配のある箇所にさしかかると、とたんにペースを崩してしまうので、こちらはまるで足踏みするような歩調になります。登りが一段落したことろで、ようやく私たちに道を譲ってもらえましたが、「なんだか不毛なことをやっているなあ」という思いです。
立場が逆で、私たちが休憩をしており、そろそろ出発しようというときに、後方から登山者の一団がやってきた場合、私たちはその通過を待ち、しっかりと間隔を空けてから出発します。
繰り返しますが、私たちはいつも子どもを連れて歩いています。健脚の登山者のようにハイペースでぐいぐいと歩いているわけではありません。そのかわり、一度決めたペース配分はしっかりとキープして歩く努力をします。そういう山歩きを親子ともカラダに染み込むまで、一年、二年とかけてやっています。
ですから、たいていの大人と変わらないペースで歩けますし、同じような時間帯に出発したほかのパーティーが先行していても、最終的には私たちが先に目的地に到着しているということが何度もあるのです。
同じ雲取山でも、大学生のパーティーと追い越し、追い越されながらも、結果的に私たちが先に登頂したことがあります。15分後にやってきた学生たちはグッタリしていました。こうなると、まさにウサギと亀の世界です。
これは自慢話ではありません。ペース配分がいかに大事かというだけのことで、たとえ百人の登山者を率いていても、ペース配分さえ適切であれば、全員必ず目的地に連れて行けるはずです。
富士山のツアー登山でも、山の素人ばかり50人、60人と引率するガイドは、驚くほどのスローペースで歩きます。そのペースはまるで精密機械のように一定しています。参加者の中でもっとも体力に劣る者にも文句を言わせないほどの亀足です。そのかわり、一度歩き始めたら休憩ポイントまでは休まずに歩み続けます。
話が横道にそれてしまいましたが、いずれにしても登山は競争ではありません。登るペースも力量もまちまちです。登山のスタイルは一様ではなく、多様性が認められる世界です。だからこそ他者への配慮、気遣いがなければなりません。
他者より力量や経験に勝る者も、劣る者も、互いの歩みを妨げない最低限の配慮が必要だと思います。これは登山技術以前の話です。
自動車で走っている場合でも、のろのろ運転が著しければ渋滞や事故を招くでしょうし、電車の中でも目の前にお年寄りが立っているのに、知らぬふりをして座っているのが恥ずかしいのと同じです。
人としての気遣いを試されるのも山の深さであり、怖さでもあるなと思った雲取山でした。