コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。

雲取山の石尾根で子どもたちと私(2015年4月)


サッカーや野球の監督は、練習で選手を指導し、試合のときはベンチから見守るだけです。練習や試合で、監督が選手とまったく同じメニューをこなすスポーツってあるのだろうか?個人競技でも、例えば浅田真央や錦織圭のコーチが、選手と同じことをやれるわけではないと思います。会社の社長だって、戦争の最高司令官だって、最前線で一緒に戦ったりなんかしません。

私は親子山学校でいつも先頭に立って、皆さんと一緒にすべての山登りに参加してきました。初めて出会った親子とも、五年、六年と続けている親子とも、いつも一緒に同じ距離、同じ高さ、同じ内容の山を登っています。私だけ距離や時間が少なくて済むということは決してありません。それは、登山というスポーツの性質上、当然のことだ思って来ました。

こうして私は2003年4月から今日まで、12年以上一度も休まずに親子トレッキングを続けています。私自身が体調を崩して休んだことや、途中で下山したことは一度もありません。

十年ほど前に一度インフルエンザに罹ったことがありますが、山登りの前に回復しました。自転車で転んで膝に大怪我し、病院で八針ほど縫ったときも、その月の親子トレッキングはやりました。今年のはじめ、父が危篤になり他界したときだけ日程を変更しましたが、そのあと振替日で実施しました。

膝や腰が痛くても、疲労が残っていても、プライベートでどんなにつらいことがあっても、山に行けば心が晴れます。いえ、無理してでも涼しい顔して登るように努めてきました。

私は体育会系の人間ではありません。登山のための筋トレやジョギングもまったくしません。アスリートとはほど遠い世界にいる、平凡な男です。

そんな私が、12年連続フル出場(この場合はフル登山か)という、まるで鉄人のようなことをやってきたことに、自分でも呆れるというか、なんだこれは?と思っています。私はこんなことを、なぜ続けているんだ?いったい何歳までやるつもりなんだ?と思っています。

昔と同じように山登りするチカラは、年々落ちています。あと二年で、私は六十歳です。六十五、七十・・・と歳を重ねるに連れて、メンバーもどんどん減っていくでしょう。

今のように百人、二百人を超えるメンバーを引っ張っていける力は、私にはもう残っていないでしょうし、第一そんな爺さんのもとに好き好んで集まる親子は減って当然です。私もますます石頭になってゆき、価値観の異なる若い親たちとは付き合えなくなるに違いありません。

でも私には今のところ辞める理由が見つかりません。肉体は衰えますが、その時々の年齢なりに健康でいられる限り、私は続けたいと思います。

私が一緒に山登りしたい4歳、5歳、6歳の子どもたちは、時代や社会の変遷に関わりなく、普遍的に「歩くチカラ」を持っています。毎年ちいさな人たちがやってきます。その度に「ようし!泣いても喚いてもいいからこの山に登るぞ!」と鉢巻しめてやってます。

山で七十代、八十代の登山者に出会うと、まだまだ道のりは遠いなあと思います。

一緒に歩く親子が最後の一組になるか、その前に私が倒れるか。その時がくるまで、自分から山を降りることはないでしょう。まあ、その頃は私が手を引かれて歩いているのかも知れませんが・・・。