コラム

低山から高山まで、 仲間の親子と登る山々で出会ったこと、思索したこと、 憧れること、悔やむこと、 そして嬉しかったことを綴ります。 親子山学校を貫くインティメイトな山の世界・・・。

山小屋で薪割りを楽しむ子どもたち(奥多摩・三条の湯)


晴登雨登 第2回「ディーリアスの山」

クラシック音楽の作曲家フレデリック・デ
ィーリアス。彼の晩年の代表曲「ソング・オ
ブ・サマー」を題にしたドラマが、1968年
に英国放送協会(BBC)で放送され評判に
なりました。

 晩年のディーリアスは若い頃の梅毒がもと
で失明し、下半身もまひし、妻と2人でパリ
郊外に暮らしていました。その窮状を知った
青年エリック・フェンビーが、ディーリアス
の作曲活動を助けようとしてやって来ます。
失明してもなおディーリアスはわがままで、
作曲方法も独特でした。霊的なひらめきが
湧くと次々とふしを口にし、それをエリック
が懸命に楽譜に起こします。

 ディーリアスが山に登る、幻想的な場面が
あります。彼は車椅子ごと担がれ、妻も大変
な思いをして山頂をめざします。視力が失わ
れてゆく中でディーリアスは自らの意思で山
に向かうのです。

 私の主宰する親子山学校にはかつて聴力を
失った、ろうあの母親が7歳の息子と参加して
いました。母親と私との意思疎通は、幼い息
子が手話で行ってくれました。またある家族
は、母親が初期のALS(筋萎縮性側索硬化症)
でありながら、2人の子どもと夫の4人で参加
していました。最初はみんなと歩けていた母
親も症状が進み、やがて参加するのは夫と子
どもだけになりました。しかし、母親は自分
が山に登れなくなっても、毎回下山口で夫と
子どもを待ち続けました。

 車椅子の作曲家も、ろうあやALSの母親
も、なぜ山に登ろうとしたのでしょうか。
有名な登山家はその理由を「そこに山があ
るから」と答えました。ディーリアスやあ
の母親たちなら、こう答えたかもしれませ
ん。「生きていることを感じたいから」と。

 山登りは心で登る運動でもあります。視
覚や聴覚が失われても山に登れるのは、強
い意思を持ち続ける人間の成せるわざです。

(初出:月刊誌『女性のひろば』2023年8月号)


写真と文:関 良一(親子山学校主宰)


【参考資料として】
★優れた音楽映画をいくつも作ったケン・ラッセル監督が、英国放送時代に晩年のディーリアスとエリック・フェンビーの交友を描いたテレビドラマ「ソング・オブ・サマー(SONG OF SUMMER-DELIUS)」。モノクロ、75分。https://www.youtube.com/watch?v=Jy8Crdh3Mh8
★「ソング・オブ・サマー真実のディーリアス」エリック・フェンビー著、向井大策・監修、小町碧・翻訳、アルテスパブリッシング・刊