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2021年度の親子山学校キッズクラス、11期生の親子メンバー募集についてご案内致します。

2021年度の募集人数
親子30名程度(昨年度の半分程度です)

主な参加条件
2021年4月の時点で満4歳以上、小学4年生までのお子さんとその保護者。
本年4月から2022年3月までの1年間、毎月一回の月例山行(全12回)に参加できること。

申し込みから入校までの流れ

1・応募要項の請求 2月11日(木)より受付開始します。

2月11日に親子山学校公式ブログにアップされる応募概要をご覧いただき、入校を希望する親子の氏名、年齢、住所(都道府県名のみ)を明記してメールで正式な応募要項を請求していただきます。折り返し「2021年度キッズクラス応募要項」をメールでお送りします。

2・申し込み&課題作文の提出 
メールで送られた「2021年度キッズクラス応募要項」の項目に従って、2月21日(日)までに必要事項や課題作文を書いてメールで送信していただきます。作文の課題は、お送りする「応募要項」に記載します。400字以上800字以内の作文です。

3・審査〜合否のお知らせ 2月22日(月)〜2月23日(火)
応募された全員に、随時メールで合否をお知らせします。

4・ガイダンス 2月28日(日)
入校が決まった親御さん向けに、ガイダンスを開催します。親子山学校キッズクラスでの活動内容や必要な装備などについて具体的な説明を行います。参加は任意です。場所は「高尾の森わくわくビレッジ」で行います。午前10時〜12時の予定。(JR中央線高尾駅から「わくわくビレッジ」行きバスに乗車)

5・月例山行は2021年4月からスタートし、2022年3月まで全12回開催します。
詳細な山行日程は、入校が決まった方々へお知らせします。原則、毎月土曜日、日曜日、祝日の中から四回実施日を設けますので、毎回その中から参加できる曜日を選択してもらいます。

以上

親子山学校
主宰 関 良一




「なぜ同じ山に登るのか なぜ繰り返すのか」

親子山学校を始めた頃は、私もまだ40代でしたから体力も十分にありました。自分の二人の子どもも、まだ無邪気な小学生でした。

二人を連れてあちこちの山に登りました。それが一つのバロメーターとなって、「この山は使えるな」とか「このルートは面白いぞ」などと感じては、それを親子山学校のプログラムに組み入れたりしていました。

山の数も現在のキッズクラスで年間に登っている数より、多かったと思います。また、今より遠出もしていました。(千葉の山、丹沢の山、奥多摩の山など)

そのうち私は、だんだん分かってきました。子どもにとって、あちこちの山へ引き回したところでそれほど記憶には残らず、身に付くことも少なく、価値は薄いぞということです。

それよりも慣れ親しんだ山に、季節を問わず通い続けることの方が、子どもにとっては安心して通える場所であり、深い学びが得られるのだと気づいたのです。

山登りに夢中になってくると、あの山にも登ってみたい。次はあそこと、どんどん欲が出てくるのも分かります。けれども一回限りのピークハントでは、その山を知ったことにはなりません。

一つの山をあらゆるルートから登ってみる。あらゆる季節に登ってみる。あらゆる天候の日に登ってみる。その方が登山技術は上がるということなんです。

ですから私は、百名山に登ったことを自慢するような登山者を信用していません。

「あなたは、その百の山の、すべての季節を登っていますか?すべてのルートを登っていますか?」と尋ねれば、答えに窮する人がほとんどだと思います。

考えてみて下さい。あらゆるスポーツには、日々の練習や稽古をする場所が決まっています。

剣道や柔道には道場があります。そこには師範がいます。野球やサッカーにも練習グラウンドがあります。そこには監督がいます。水泳にも泳ぎを教えてくれる、コーチのいるプールが決まっています。ピアノやヴァイオリンだって、同じように教室が決まっています。

剣の道を志す少年少女も、道場で汗を流したり悔し涙を流したりしながら、腕を磨いたり悩んだりします。道場は技術を会得するだけでなく、思考の場でもあります。

音楽の世界でもそうでしょう。技術だけを教わっているのではないはずです。音楽を通して感情であったり洞察力であったり、想像力も同時に求められているはずです。

いずれにしても、ほとんどすべての習い事には必ず自分の汗が染み込んだ、そこの間取りや匂いや、共に学んだ仲間の顔も思い浮かべられるくらいに慣れ親しんだ、小宇宙のような決まった場所があるのです。このことは、子どもの情操教育上でも大事ではないでしょうか。

そうした道場のような場所での日々の研鑽が基本にあって、そのつど真剣勝負の場に出ていくのです。

そして、その試合や表現に納得できずに終われば、次の「本番」に向かっていつもの道場や教室に戻り、基本にかえって練習をする。稽古をする。

柔道なら受け身を繰り返す。剣道なら素振りを繰り返す。何度でも何度でも反復する。そこには「この稽古は飽きた」からとか、「こんな稽古は不毛だ」からやらないということは一切ありません。物事の極意は、常に基本になる動作の反復を、飽きずに続けるところから得られるのです。



親子山学校で通う山々は、いわばあなたと子どもの道場であり、グラウンドであり、教室ではないかと思うのです。私自身、そう思って通っています。

そこで稽古を積んでいる私たちの「本番」とは、エベレストに登ることではないはずです。それは、毎日の暮らしや仕事であり、未来に向かう子どもたちの生きる支えになってゆくものであらねばなりません。

そうであるならば、「この山は登ったから、次は違う山に登りたい」というのは、話が違ってきます。自分の道場や教室も持たずに、まだ未熟な者がどうやって腕を磨き、心身を鍛えられるのでしょうか。

あなたと子どもの道場は高尾山や陣馬山であり、もっと言えば、いつも繰り返し歩いている山道の上が私たちの道場ではないでしょうか。

登山道って単に山道のことじゃなくって、武道や茶道や華道のように、「山登りを通して自身を鍛え、極めるための道=登山道」として考えると、その大切さが分かると思います。

私は親子山学校に通う現代の子どもたちに、自分の道場や稽古場を持ち、そこでリアリティーのある汗と涙を流すことの尊さを知って欲しいと願っています。

私たちの教室はとても地味かも知れませんが、心おきなく自分の非力や手応えを感じる場所であることに気づいて欲しいのです。

ここではないと思うなら、自分を磨けるほかの「道場」や「流儀」を見つければ良いのです。

私の流儀は変わりません。深めることはあっても、変えることはないでしょう。何年経とうとこれが親子山学校の流儀ですから、安易に流されることはしません。私自身、まだ道半ばです。これからも頑なに反復し、繰り返す山登りにこだわり続けます。

親子山学校で登っている山が、現在のように限定されている理由がここにあります。

2020年12月1日
親子山学校
主宰 関 良一

(2020年12月1日に、親子山学校のメンバー宛てに書いた文章を一部、加筆・訂正して掲載しています。無断転載等は固くお断りいたします)



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4月19日、陣馬山頂(背後には大勢のハイカーがいた)


コロナ禍の陣馬山に登って

きのう(4月19日)「我が家の裏山」でもある陣馬山に一人で行ってきました。コロナ禍で活動休止中の山学校の、今後の活動と安全をどう再構築できるのか。また山頂にある馴染みの茶屋が開いているなら情報交換もしておこう。この時期に色々確認したいことや考えたいことがあったわけです。山のことを考えるなら、山に触れて考える。「山のことは山に訊け」というのが私の流儀です。

登山口に向かうバスの中はガラガラで、乗っているのは私を除いて4人だけ。そのうち3人は20年来の顔なじみの登山者で、みな70代です。陣馬山界隈をフィールドに、毎週休まず登っている方々です。もちろん彼らもマスクをしたり、消毒液の入った携帯スプレーなどを持参したりで、いつもよりは肩をすぼめて過ごしております。

しかし、このコロナ禍でも陣馬山に向かうにふさわしい顔ぶれだったとも言えます。

私は何も聞いていないのに、向こうから「こんな時に山なんか行って、申し訳ないけどね・・」と苦笑い。彼らもわかっているのです。でも、山やの性(さが)なんでしょうね。歳をとるほど、じっとしてたらどんどん筋肉が弱って歩けなくなるし、何よりも「あの山に行けば誰それさんに会える」とか「今ならあの花があそこに咲いているだろう」とか、山の喜びを熟知している方々です。

私はその中の一人、Mさんに尋ねました。「Mさん、ところで今お幾つになられました?」「75歳です」。そのMさん、「北アルプスにまた行きたいんだけどね。去年は三俣山荘まで行くので精一杯でした」「そこまで行けるだけでも立派じゃないですか」

もう歳なんだから無理な山登りはやめなさいよ、とは言えません。私だって夢は「88歳まで山登りしていたい」と思ってますもの。

Mさんら昨日の三人は、「決して人様に迷惑はかけないよ。でも、オレの生きがいを認めてくれよ・・」と言っているように見えました。

私も三人も陣馬登山口バス停で下車し、落合の集落を上がって一ノ尾根からゆっくりと陣馬山を目指しました。私は単独なので、気ままに一人歩き。登山道脇の春の花を見つけては写真を撮ったりして、ゆっくりと登っていました。

三人はさらにゆっくりとしたペースで、数十メートル後ろを歩いています。私が「ここにジュウニヒトエの花が咲いてますよ」と声をかけると、三人も近づいてきて「ああ、本当だ。よく見つけたねえ」などと言ってくれます。そんなことを繰り返しながら、やがて山頂部に近づいてきました。


ジュウニヒトエの花

私の前に、女性3人と男性2名のグループが歩いていました。そのうちの女性3人は歩きながらのおしゃべりに夢中でした。山登りでは、おしゃべりに夢中になると歩みが遅くなります。ゆっくり登っていたつもりの私も、みるみると彼女たちの後ろに接近してしまいました。

私の接近に気づかずにおしゃべりに夢中の3人。私も距離を置いて、しばらくはそのまま歩いていました。しかし、気になることがありました。

いくら山の中とはいえ、肩を並べるように接近した格好で、マスクもせずにおしゃべりし続けているのはよくないんじゃないの?

あなたがたは都会から来ているのだろうから、ここまで電車やバスを使って来たんだよね。それにもしかしたら「あなた自身もサイレント・キャリアーかもしれない」という自覚はないのかな?

いくら3密(密集・密閉・密接)とは無縁の山とはいえ、山に来れば大丈夫というのは錯覚に過ぎず、ウイルスを運び込むのは人間なんだということが分かっていないのだなと思いました。

そう思うと、たった3人の登山者に対しても恐怖心のようなものが湧いて来ました。ようやく私の存在に気づいた彼女たち。道を譲ってもらい、私はペースをあげて追い越して行きました。

さて、ここから先は山頂で見たことをお伝えしますが、前述した緊張感のない女性3人のハイカーは、序章に過ぎなかったという論点に変わります。

山頂に着くと清水茶屋はいつものように営業をしていました。安堵したのもつかの間、清水茶屋のテラスのテーブルが、大勢の人でほぼ埋まっていて驚きました。他の二軒の茶屋が閉まっているせいもありますが、いくら日曜日とは言え、コロナ禍で緊急事態宣言も出されている中で、清水茶屋がここまで混雑しているのは異様な光景でした。

二代目清水令宣さん(元藤野町町議会議員)に尋ねました。「すごい人ですね」「ええ、うちもまさかこんなに人が来るとは思ってなかったから、今日は食材も少ししか荷揚げしていないんですよ」。

私は改めて白馬の像が立つ山頂に上がって見ました。なんと山頂の周りにも大勢のハイカー。ベンチやテーブルはほぼ埋まっていました。さらに去年秋の台風以降、店じまいしたままの信玄茶屋裏手の芝生の広場には、家族連れと見られるハイカーが何組もおり、小さな子どもたちが歓声を上げながら走り回っていました。

平時であればいつもの日曜日の陣馬山として、なんの問題もない光景です。しかし、この日は異様にしか見えませんでした。当然の事ながら、まともな山の装備の親子はほとんどおりません。親も子どもも、近くの公園を散歩するような格好です。

そもそも、私が乗ったバスには、家族連れはおろか、一般のハイカーはほとんど乗っていませんでした。この人たちは一体どこからどうやってやって来たのだろうか?

その謎はあとで解けました。彼らは電車やバスの利用を避けて、自家用車でやってきたのです。

陣馬山の場合、和田峠という場所までは車で行くことができ、そこにはかなりの台数が止められる駐車場(有料)があります。その和田峠まで車で来られれば、山頂まで最短の20分程度で登れるのです。

あの家族連れや他のハイカーの大半は、車で来ていたわけです。(私が和田の集落へ下山し、バス通りを歩いていたら、和田峠方面から見慣れないナンバーの車が次々と走り去って行くのを見て納得できました)

清水茶屋で聞いた話では、先週の平日にひと組の家族がやってきて、その家族は神奈川県の藤沢市から車で来たそうです。「家族で海に行ってみたが、海岸は人でいっぱいなので、山なら空いているだろうと来てみた」そうです。確かに平日の山なら格段に空いてはいます。

コロナ禍で湘南海岸が人出で賑わっているというニュースを目にしましたが、外出が制限されている中でも、この時期に海岸線が人で賑わっているのも異常な状態です。

コロナ感染の状況は、今、不特定な人や場所での感染から、「家族内感染の拡大」が始まろうとしてしています。

家族揃って近所のスーパーに買い物に行く。家族揃って町のレストランで食事に行く。家族揃って近くの公園へ遊びに行く。「家族同士なら安心」というのは、ただの錯覚に過ぎません。合理的、科学的な安全の根拠は一つもありません。家族には「安全」のバリアがあると信じ込んでいるだけのことです。

余談ですが、自分の子どもたちが近くの河原で遊んでいる動画を、SNSに投稿しているものを目にしましたが、軽率な親はこれをみて「自分の子どもだけなら大丈夫か」「うちも真似してみよう」と思うでしょう。これは「正常性バイアス」という心理で、間違った安全神話に過ぎません。

陣馬山の山頂を包む子どもたちの嬌声とその姿をみて、もしもこの後にこの中から感染者が出たら・・それがこの陣馬登山をしたことによって起きたとしたら・・。

陣馬山でいくつものクラスターが発生しても、もはや追跡しようがない状態になるでしょう。この時期の限られた少ない登山者の、安全・安心の拠り所として細々と営業を続けている清水茶屋でさえ、営業停止の事態に陥ることになるでしょう。

この日の陣馬山の、この異様な光景を目の当たりにして、私はいよいよ「親子山の再開に当たっては、絶対に厳格なルールを徹底しなければダメだ」と思いました。その意味では、この日登っておいて良かったわけです。

通常であっても、親子山のみなさんには、安全登山への意識向上のために、日常生活ではありえないほどのいろんな啓発を繰り返し、ルールの徹底や取り組みを実践して来ました。山での大きな事故が16年間ゼロだったのは奇跡ではなく、みなさんの意識の積み重ねです。

日本はまだ自由な国ですから、緊急事態宣言が出されていても、救いは独裁国家の戒厳令のような厳しい制限も取り締まりもないことです。その代わり、一人一人の行動が問われます。

親子山学校の活動ではなく、家族だけで山や海へ出かけたいのであれば、前述したような懸念材料を一つずつチェックし、そのリスクをすべて潰していけると確信が持てることが大前提です。(だからといって、家族でむやみに出かけるのはやはり控えるべきでしょう)

これまでの親子山の取り組みを理解し、実践できている親子メンバーであれば、きっと分かっていただけると確信していますが、コロナ禍における活動再開に当たっては、さらに厳しいルールとスタイルを取り入れて行きます。そのためのルール作りを現在検討しています。

これを完璧に実践できない親子は、おそらく今後は参加できないものになると思います。それでもまだ生ぬるいルールから始めるとは思いますが、変容するコロナと私たち人間の叡智との根比べは長期化するでしょう。

私にとっての親子山学校の活動と存続の意義は、私たち人間のあらゆる尊厳をかけた大事な営みの一つであると考えます。その尊厳を一度でも、一つでも手離した瞬間から、人はどんどん劣化して行くことを歴史が証明しています。みなさんも学び続けることをどうか忘れずに。そして、家族を守りながら、この禍(わざわい)を賢く乗り越えて行きましょう。

2020年4月20日
親子山学校
関 良一


写真は遠景で分かりづらいが、山頂の芝生には大勢の家族連れがいた

陣馬山・一ノ尾根にて