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親子山学校とは

校舎を持たず 
山と山道を教室とし

雨の日も風の日も
ただ山登りという授業を行っている

それもひとつ所にとどまることなく
ひたすら移動し続ける

それはまるで
国家を持たない流浪の民にも似ている

むろん偶像も旗も持たない

しかし我らは
幼児から大人まで
精力善用・自他共栄のその精神で
山登りを実践している

登る山は変わらないが
登る親子は歳月と共に変わる

流れる川の水は同じように見えても
そこに同じ水は一滴も流れてはいない

親子山学校とはそういう存在であり
それで良いのだと

2023年5月1日
関 良一




私は、卒業証書授与とは次のように執り行うべきであると考える。

卒業証書を手渡しする子どもが百人いるとしたら、一人ひとりに講評を加えながら渡すことがあってはならない。百人の卒業生全員に、何もコメントすることなく、厳粛に淡々と卒業証書を渡すだけでよい。

もし講評を加えながら卒業証書を渡すとなれば、私も人間である以上どうしても渡す子どもによって感情のばらつきが生じてしまう。

「きみは勉強もよくできたし、運動会でも大活躍で、クラスメイトのためにもよく尽くしてくれたね。先生は君が卒業してしまうのが本当に残念だよ。六年間ありがとう。そしてご卒業おめでとう」と言える子どもがいる一方で、もう一人の子どもにはこんな気持ちしか湧かない場合だってあるかも知れない。

「きみは確かに勉強は学年一できたけど、勉強以外のことには無関心で、クラスメイトと一緒に取り組むことにも協力しない実に冷たい子だったね。先生は君がやっと卒業してくれてせいせいするよ。はい、おめでとう」

大袈裟かも知れないが、講評を加えるとこんなことが起こりかねないし、公平を目指して言葉を選んでみても、聞く側の解釈で「ちっとも私を誉めてくれない」となる場合もあるのだ。

どんな子どもも最後は対等に、公平に卒業していく権利があり、送り出す側にもそこに差をつけるようなことがあってはならないのだ。最後はどの子に向かっても、同じ心で淡々と卒業証書を渡すことが教育者の矜持であらねばならないと私は思う。

ラグビーで言うならば、ノーサイドの精神だ。

自陣と敵陣に分かれてぶつかり合い、勝ち負けがついても、試合終了のノーサイドの笛が鳴った瞬間に自陣と敵陣のボーダーは消える。ルールに則り、知力と体力を尽くして戦った者に勝者と敗者のレッテルを与えるのではなく、ノーサイドをもって戦った者たちを讃え、ゲームに幕を降ろす精神。

私の考える卒業証書授与は、これと同じでありたいと願う。私が親子山学校のメンバーの利己的行為や、利己的な評価を求めようとする一切を拒否する理由もそこにある。と同時に、私自身にも問いかけている。

お前はノーサイドの笛が聞こえているかと。

2023年2月27日
親子山学校
関 良一


高尾山でも近年、盗掘に遭っている植物の一つセンブリ


東京・高尾山のビジターセンターが発行しているニュースレター「のぶすま」2022年秋号(vol.69)には、「高尾山で起きている問題・観察マナー編」と「高尾山のれきしvol.31高尾山のゴミ問題、昔と今」と題した記事が大きく掲載されています。

私の知る限り「のぶすま」でここまで山のマナーについて突っ込んだ記事を見たのは初めてです。それだけ心ない人たちによるマナー違反が増え、深刻な問題に発展しているということだと思います。

下記のURLからも「のぶすま」秋号が閲覧・プリントアウトができますのでぜひご覧下さい。
https://ces-net.jp/takaovc/?page_id=465


陳情書に掲載した「登山道下の斜面に投棄されていた原付バイクの写真」(2022年1月)


京王線高尾山口駅前から登れる草戸山(標高364m)は、親子山学校でも年に数回登っている山です。登山口から四辻に向かう最初の山道を登っていくと、右側の斜面の下に不法投棄されたような原付きオートバイが何年にも渡って放置されていました。ナンバープレートが外されており、盗難車なのか不法投棄なのかも不明でした。いつまでも放置されている様子が気になって、今年の4月に現状の状況をA4用紙6枚にまとめたレポートを携えて地元の高尾警察署に陳情という形で提出しました。提出から半年ぶりの10月、親子山学校のキッズクラスの月例山行で草戸山に登った際、放置されていた場所から原付きオートバイの姿がなくなっており、無事に撤去されていたことを知りました。