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八ヶ岳の権現岳へ、鎖場をゆく子どもたち


第十一回 ゆっくり歩く練習 

 山学校の子どもたちと山に登っていた時で
す。先を歩いていた女性登山者が、私たちに
気づくと「お先にどうぞ」と道を譲ってくれ
ました。私が礼を言うと、彼女は「いえ、ゆ
っくり歩く練習をしているので気になさらず
に」とおっしゃったのです。

〈ゆっくり歩く練習〉という言い回しが耳に
残り、そのあともしばらく考え込んでしまい
ました。病気かケガでもしてリハビリ中か、
単に体力がないからなのか。私にはわかりま
せんでした。

 それからしばらくして、三冠王を三度とっ
た元プロ野球選手の落合博満さんが、打撃不
振に陥った時の独特な練習方法を知りました。
落合さんはあえて超がつくほどのスローボー
ルを打撃投手に投げさせて、それをひたすら
打ち返す練習をしたそうです。山なりに飛ん
でくるスローボールを、バットの芯で捉える
のはプロでも難しいそうです。普通は速球を
どう打てるかと考えがちですが、打撃の達人
は速球とは正反対のスローボールを打つ練習
を繰り返したのです。

 山道で出会った〈ゆっくり歩く練習〉をし
ていた女性と、〈落合さんのスローボール〉
が私の中でつながりました。私は「よし」と
ばかり、山でもゆっくりと歩いてみました。
ひたすら段差の少ないラインを選び、テンポ
はゆっくりと一定のまま心拍数を上げない歩
きを徹底しました。上体をしっかりと起こし
て歩くことも意識しました。視野も広がり、
気持ちに余裕が生まれるのを感じました。
いつもなら見逃してしまう足元の野花にも目
がいきました。ゆっくりと歩けば、たとえ転
んでも衝撃は少ない。ゆっくりと歩く時の
〈距離と時間の感覚〉さえ身につければ、
高齢になっても身の丈にあった登山がまだま
だ出来そうだぞ。そう思うと、ゆっくりと歩
くことにはメリットしかないことが分かりま
した。

(初出:月刊誌『女性のひろば』2024年6月号掲載)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)


表紙の写真が素敵な妻・七加子さんの『道ひとすじ・不破哲三とともに生きる』(中央公論新社)凛として愛に溢れた著書です。


第十回「不破さんに会った日」

 「不破さんに会いに行きませんか」。
毎週、赤旗日曜版を届けてくれるTさんに言
われて出かけて行ったのは十年前のことです。
おりしも私は不破哲三さんの『私の南アルプ
ス』の文庫本を読んだばかり。不破さんが国
会議員時代に南アルプスの山々に登っていた
ことを知り敬服していたのです。党員でもな
い私をTさんが誘ってくれたのは私が親子登
山の活動をしているのを知っていたからでし
た。その集まりは、不破さんと妻・七加子さ
んが趣味で集めた郷土玩具を披露する会でし
た。不破さんの住まいが私と同じ山里にあっ
たという奇遇も重なり、私は文庫本を小脇に
抱えて女学生のような気分でその山荘を訪ね
たのです。

 いざ行ってみると、そこは私にとって完全
なアウェイ。テレビでしか見たことがない不
破さんは人垣に囲まれて近づくこともできま
せん。するとTさんが私の腕をとって強引に
不破さんの前に。私がどぎまぎしながら文庫
本を読んだことを告げると、不破さんは一瞬
考える顔になり「ちょっと待って下さい」と
言い残すと隣の書庫に消えて行きました。戻
ってきた不破さんが手にしていたのが単行本
の『私の南アルプス』です。「こっちの方が
写真もたくさん載っていますから」と言い、
目の前でサインまでしてくれました。

 六、七年後。私は冠動脈の一本が九割方梗
塞する心疾患となり、数度に渡る入退院を繰
り返しました。実は不破さんも現役時代に心
筋梗塞になったことが著書に書かれていたの
ですが、私はすっかり忘れていました。改め
て読み直すと不破さんも同じような症状でし
た。奥様の著書にも当時のことが書かれてい
ますが、不破さんは山登りをやっていたこと
で重篤化もせず回復も早かったようです。
これは私も同様で、毎年百日以上山に登って
きた体があればこそで、心拍数を上げずにゆ
っくりと登ることで今も山登りを楽しんでい
ます。

(初出:月刊『女性のひろば』2024年5月号)

〈不破哲三〉
1930年生まれ、元衆議院議員、日本共産党元中央委員会議長
著書『私の南アルプス』(山と渓谷社)には、国会議員時代に
休日を使って南アルプスの山々に登った思い出が綴られている。

不破さんが登った南アルプスの山は荒川三山、赤石岳、塩見岳、
間ノ岳、北岳、聖岳、上河内岳、易老岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳など。
謙虚に自然に向き合っていた姿が忍ばれる文章に、登山者としての
美しさを覚える名著。他に『回想の山道・私の山行ノートから』(山と渓谷)


不破さんから頂いた『私の南アルプス』。目の前で書いてくれたサイン。政治家らしからぬ愛らしい文字に人柄を感じた。


雲取山を15キロを縦走して下山してきた子どもたち(奥多摩・鴨沢)


第九回「悠々として急げ」

 H君は下りが苦手な子です。下りになると
腰が引けて前をゆく仲間とみるみる距離が開
きます。山学校に来て四年目の小4ですから、
ここらで苦手意識を克服しないと先々の山登
りが苦痛になります。そこでH君と二人で下
山してみることにしました。山用のストック
を使ってその両端を彼と私で握り、棒で繋が
った状態で私がたどるコースをなぞるように
H君に歩いてもらいました。父親には私たち
の後ろを歩いてもらいました。勾配のある下
りに差し掛かると足元の凹凸も激しくなりま
す。どんなにジグザグになろうと、私は徹底
して段差の少ない平らな足場を選んで下りま
す。坂道だろうとスピードを上げてぐんぐん
と下って行きます。下りは急がず慎重にと思
いがちですが、あえて速度を上げて歩かせた
のです。

 この時の様子は父親曰く、「駆け抜けると
いう表現がぴったりのスピードだった」そう
です。このあとストックをやめてH君を先頭
にして歩かせ、今度は後ろから彼の歩きを観
察しました。逡巡しながら下っていれば、両
足は内股気味になってブレーキをかけようと
します。しかしH君にそんな様子は微塵もな
く彼の体幹は滑らかに移動できていました。
スピードを上げたことで戸惑う暇もなく、転
びたくないという気持ちから彼の動体視力が
最大限に活性化されたのです。そしてスピー
ドに呼応できた身体には心地よいリズムが生
まれていました。

 ピアノを習っているというH君に、下山後
こう話しました。「山道は楽譜のようなもの
だよ。音符や記号にそれぞれ意味があるよう
に、山道に現れる根っこや岩や段差は音符。
譜読みができるまではゆっくりと繰り返し練
習する必要があるけれど、理解してしまえば
指先が勝手に動いて流れるように演奏できる
だろ。山もそれとおんなじなんだ」

(初出:月刊誌『女性のひろば』2024年4月号)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)


井上ひさしさんと筆者(2003年、イタリア・ボローニャ)


第八回「拝啓 井上ひさし様」

 拝啓 井上ひさし様
ご無沙汰しております。井上さんがあちらに
旅立たれて何年になるでしょうか。現世では
大変お世話になりました。井上さんと初めて
仕事をしたのは二〇〇三年十二月でしたね。
テレビ番組の取材でイタリアの古都ボローニ
ャをご一緒しました。田舎の芝居小屋で撮影
の準備をしていた時のことです。井上さんは
客席に座って静かに取材ノートをつけていま
した。私はその年、テレビの仕事の一方で親
子登山の活動を始めたばかりでした。

 「親子登山の良い指南書がないので、その
手の本を書くのが夢なんです」と私がスタッ
フに話しかけていると、それを聞いていた井
上さんが顔を上げ、「関さん、それは是非おや
りなさい」と言ったあと次のように続けました。
「ただし、良い本というのは文章だけで伝え
られるものです。写真や図に頼ることなく、
言葉の力でどれだけ表現できるかが大事ですよ」

 九年後、私は念願の本を出しました。この
本を真っ先に見てほしかった井上さんは、出
版に先立つ二年前に旅立たれていました。山
の指南書という性格もあって、写真やイラスト
入りの本でした。井上さんの教えを守れなか
った恥ずかしさはあったけれど、私は頑張っ
て書きました。

 さらに年月が過ぎました。私の山学校に通
う六年生が、登山にちなんだ研究発表でスク
リーンに画像を映しながら発表したいと言っ
てきました。私はそれを却下しました。「あ
なたの原稿はとてもよく書けているのだから、
それを読み上げるだけで大丈夫。画像を見せ
ればそっちに引きずられて言葉の力が半減し
ます。言葉の力を信じなさい」と言って発表
させました。

 あれから二十年。井上さん、私も子どもた
ちも余計なものは極力省きながら、今でも山
登りを続けています。

(初出:月刊『女性のひろば』2024年3月号)

■井上ひさしプロフィール(井上ひさし公式サイトより)
https://www.inouehisashi.jp/profile.html
■関連図書
『ボローニャ紀行』井上ひさし(文藝春秋・文春文庫)


文:関 良一(親子山学校主宰)


地図を見る(三条の湯の主人と親子山の岳童)


第七回「赤い編み上げ靴」

 20年ほど前、私が初めて娘に買い与えた
登山靴は、編み上げ式のブーツでした。赤い
生地に黒い靴紐のコントラストが素敵で、西
洋の童話に出てくる少女が履くようなその靴
は、山でもとても映えました。

 登山靴は、山の三種の神器の一つに数えら
れます。残り二つは雨具とザック。三つの中
でどれが一番大事かと聞かれたら、私は迷わ
ず登山靴をあげます。靴さえ履いていれば泥
だらけのぬかるみでも岩場でも沢の中でもへ
っちゃらです。何よりも登山靴は足をがっち
りと守り、背中の荷物も体重も支えてくれる
縁の下の力持ちです。山登りに限らず、靴さ
えあれば遠くまで移動も可能です。

 20世紀半ばにキューバ革命を起こした人物
の一人に、チェ・ゲバラというアルゼンチン
生まれの男がいました。そのゲバラが新たな
革命を起こそうとして行った南米のボリビア
で、亡くなった時に履いていた靴の写真を見
たことがあります。それはボロ布をつぎはぎ
して作った粗末な靴でしたが、私は靴に執着
したゲバラのこだわりに衝撃を覚えました。
生前のゲバラは「兵士にとって最も大事なも
のは」と聞かれた時に、「それは靴だ」と答え
ています。銃ではなく靴なのです。ジャング
ルや山岳地帯をひたすら歩いて移動したゲバ
ラだからこそ、靴は移動に不可欠の道具であ
り、命をも守ってくれる存在だったのでしょう。

 ゲバラが39年の生涯を閉じた時、最後に
履いていたあの靴はどうなったのでしょうか。
おそらくは誰にも見向きもされずに棄てられ、
今でもその存在を気にする者はいないでしょう。
けれども私は気になります。私が娘に与えた赤
い編み上げの靴を手放したことを今、後悔して
いるように、ゲバラが履いていたあの靴は、人
類が残しておくべき靴の一つだったのではと思
うのです。

(初出:月刊誌『女性のひろば』2024年2月号)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)