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山登りが好きな子どもは、山小屋でもご飯をよく食べ会話もはずむ(八ヶ岳の青年小屋で)


第六回「尾籠(びろう)な話で恐縮です」

山学校での登山中に、5年生の男子が深刻
な顔で近づいてきて、「キジとりをしたいの
ですが、どこですればいいですか」と言っ
てきました。私は笑って答えました。「それ
はキジとりじゃなくて、キジ撃ちだろ」。ご
存知の方もいると思いますが、キジ撃ちとは
男性が山の中で野糞をする時の登山者の隠語
です。キジ(雉)は飛ぶのが苦手な鳥で地面
を歩いていることが多いため、猟師はしゃが
んで鉄砲を撃つ。その姿勢から男性の排便を
キジ撃ちと呼びます。少年はよほど切羽詰ま
っていたのか、「キジとり」と言い間違えた
わけです。反対に女性の場合はお花摘みと呼
びます。草むらから上半身だけ出ているその
姿が、まるで花でも摘んでいるように見える
から。同じ行為でも女性の方が優雅な響きで
すね。

 しかし、現代人は自然の中で用便を済ませ
る機会がないせいか、トイレのない山の中で
野糞をするなどめっそうもないと拒絶しがち
です。でも、排泄を我慢するのはカラダによ
くありません。入会したての親子に「キジ撃
ちとお花摘み」を教えるのも、山の基本の一
つにしています。女性の場合は折り畳み傘を
携行しておくと便利です。広げた傘を衝立に
し、その後ろにしゃがんでするわけです。
キジ撃ちもお花摘みも、一度経験してしまえ
ばあとはもういつでも「どんと来い!」。私な
ど数えきれないほどしてきましたが、あれは
なんというか、実に野趣満点ですな。自分が
野生の生き物になったような気分です。私は
排泄前に登山靴のつま先で軽く地面に穴を開
けてそこにします。終わったら土や落ち葉を
かけて、分解処理は微生物に引き継いでもら
います。

(注)世界遺産や国立公園のような、厳格に
保護されているエリアでは原則禁止ですが、
どうしても我慢できない時のために、携帯
トイレを持ち歩くと安心です。


(初出:月刊誌『女性のひろば』2024年1月号)




文と写真:関 良一(親子山学校主宰)


6年生に渡す卒業証書と落款


第五回「哲学する子ども」

 子どもでも山登りを何年もするうちに無駄
なおしゃべりが減り、黙々と歩けるようにな
ります。ほんの数十秒の沈黙でも、深い思索
に入れる下地が養われます。この短い沈黙の
積み重ねが、子どもにも物事のあり方を理性
を持って探求しようとする、哲学的な思考を
鍛え上げていくのです。

 毎年2月、12歳の6年生たちとの別れが近
づくと、私は山登りの仕上げに或る「授業」
を行います。「君たちは人間?それとも動物
?」「ヒトとケモノを分けるのは何?」とい
う、〈人間について〉問いかける授業です。
「理性が働くか、本能に振り回されるか」
という問題を探求していきます。これは宮城
教育大学の元学長だった林竹二(1906〜19
85)が、晩年に全国の小学校や夜間学校で行
った授業の一つです。教師でもない私は文献
を漁って、林が行った授業の再現に取り組ん
でいます。

 ある年、発達障がいのある6年生のY君が
授業に参加しました。Y君は幼い頃から協調
することが苦手で、山でも自分勝手な行動を
したがる子でしたが、高学年になると寡黙に
なってきました。私のつたない授業も最後ま
で真剣に聞いてくれました。Y君は山学校の
卒業式で作文を読み上げました。卒業生の中
でただ一人、Y君は〈人間について〉の授業
を振り返り、「僕は理性のある人間になりた
い」と力強く語ってくれました。

 山では本能に任せていたY君を、私は何度
も咎めたことがあります。私はその理由を話
せませんでした。しかし、本能だけで歩いて
きた時間を経て、「君は何を持って人間と言
えるのか」と問いかけられたとき、Y君は見
事に自らの足で新たな風景にたどり着いたの
です。

参考文献:『授業 人間について』
林竹二(国土社・絶版)

(初出:月刊誌『女性のひろば』2023年12月号)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)


山小屋でも学びの時間を過ごす子どもたち(ヒュッテ入笠・長野県)


第四回「山歩きの極意」

 私も若かった頃は山頂まであとひと登りと
いう場所に来ると、子どもたちと「よーいど
ん」と競走して頂上まで駆け上がったもので
す。山から山へと縦走してきた後半でも、疲
れの見えてきた子どもたちに向かって「よう
し、走るぞ」と言って、駆け出すこともあり
ました。そんな時ほど子どもは嬉々として走
ります。山道を走っていても転ぶ子どもはめ
ったにいません。普段はゆっくりと歩いてい
る子どもたちが、なぜ転ばずに走れるのでし
ょうか。

 山学校に初めてやってくる親子に、私が真
っ先に教えていることがあります。「登りで
も下りでも段差の少ない平らな足場を選んで
歩きなさい」ということです。山歩きの極意
はこれだけと言っても過言ではありません。
そのためにジグザグに進むことになっても構
いません。ただし、顔と体は必ず進む方向に
向けて歩きます。「エベレストだろうと低い山
だろうと歩き方は同じだよ」と言うと、みん
な納得してくれます。

 どんな山でもこれを徹底し、体が自然に反応
するまで続けると、やがてバランス感覚と動体
視力が磨かれます。だから、いざ山を走るよう
な時でも前方や足元への注意が働き、転倒が避
けられるのです。素早い動きにも体が反応でき
るのは、スローな動きの反復練習にその土台が
あるのです。

 エベレストに世界初登頂をした女性登山家の
田部井淳子さんは、晩年に日本の低山を熱心に
登っていました。ある日、田部井さんは自分よ
りも年上の男性に尋ねました。「山歩きの達人
とはどういう人のことですか」。すると男はこ
う答えたそうです。「足元の石ころ一つ動かさ
ずに歩ける人です」と。つまり、ゆっくりと
優しく歩く。ここにも山歩きの極意があります。

(初出:『女性のひろば』2023年11月号)


文と写真:関 良一(親子山学校主宰)


ある日の岳童たち(八ヶ岳・行者小屋前)


第三回「美しい登山者」

 東京の最高峰・雲取山の石尾根に、奥多摩
小屋という山小屋がありました。私の息子と
娘が幼い頃に何度も通った所です。いつもの
ように尾根に上がった時、私は子どもたちに
「先に行って、もうすぐ到着しますって伝え
て」と言いました。小学生だった二人は初め
ての使命を受けて大喜び。

「走るなよ。ゆっくり行けよ」「わかった」
そう言うやいなや、息子と娘はわれ先にと駆
け出しました。「おい、走るなって言ったじゃ
ないか」と言ってももう聞きません。二人は
みるみると遠ざかって行きました。稜線を駆
け上がるその姿はまるで子鹿のようで、我が
子ながら〈なんて美しいんだろう〉と思いま
した。

※   ※   ※   ※  ※   ※

 南アルプスの甲斐駒ヶ岳に登っている時で
した。花崗岩が広がる稜線を見上げると、逆
光の中にザックを背負った若者たちが見えま
した。一糸乱れず黙々と下って来ます。稜線
を歩く彼らのラインの美しさに私は見惚れて
いました。近づいてきた彼らは高校生でした。
無駄口を一切こぼさず、そんな風に山歩きが
できる彼らに感動しました。

 八ヶ岳の赤岳を望む山小屋の前にいた時に
は、大きなザックを背負った若者たちが赤岳
方面から下って来ました。大学の山岳部です。
彼らはザックをおろすとすぐに円陣を組み、
主将格の一人が何やら話しはじめました。部
員たちは姿勢を正したまま黙って話を聞いて
います。靴もザックも汚れていたので、長い
縦走をしてきたのでしょう。どう見ても疲労
困憊のはずなのに、彼らは何事もなかったか
のように静かでした。この時も〈あゝ、なん
て美しいんだ〉と思いました。

 齢を重ねても背筋を伸ばし、凛として暮ら
そう。私は山で、若者たちからそう学んで来
ました。

【ワンポイント】
登りの時こそ背筋を伸ばし顔を上げて歩く。
常に前方の状況がいち早く把握でき、喉の
気道も広がり呼吸が楽になります。

■初出:月刊誌『女性のひろば』2023年10月号


写真と文・関 良一(親子山学校主宰)


山小屋で薪割りを楽しむ子どもたち(奥多摩・三条の湯)


晴登雨登 第2回「ディーリアスの山」

クラシック音楽の作曲家フレデリック・デ
ィーリアス。彼の晩年の代表曲「ソング・オ
ブ・サマー」を題にしたドラマが、1968年
に英国放送協会(BBC)で放送され評判に
なりました。

 晩年のディーリアスは若い頃の梅毒がもと
で失明し、下半身もまひし、妻と2人でパリ
郊外に暮らしていました。その窮状を知った
青年エリック・フェンビーが、ディーリアス
の作曲活動を助けようとしてやって来ます。
失明してもなおディーリアスはわがままで、
作曲方法も独特でした。霊的なひらめきが
湧くと次々とふしを口にし、それをエリック
が懸命に楽譜に起こします。

 ディーリアスが山に登る、幻想的な場面が
あります。彼は車椅子ごと担がれ、妻も大変
な思いをして山頂をめざします。視力が失わ
れてゆく中でディーリアスは自らの意思で山
に向かうのです。

 私の主宰する親子山学校にはかつて聴力を
失った、ろうあの母親が7歳の息子と参加して
いました。母親と私との意思疎通は、幼い息
子が手話で行ってくれました。またある家族
は、母親が初期のALS(筋萎縮性側索硬化症)
でありながら、2人の子どもと夫の4人で参加
していました。最初はみんなと歩けていた母
親も症状が進み、やがて参加するのは夫と子
どもだけになりました。しかし、母親は自分
が山に登れなくなっても、毎回下山口で夫と
子どもを待ち続けました。

 車椅子の作曲家も、ろうあやALSの母親
も、なぜ山に登ろうとしたのでしょうか。
有名な登山家はその理由を「そこに山があ
るから」と答えました。ディーリアスやあ
の母親たちなら、こう答えたかもしれませ
ん。「生きていることを感じたいから」と。

 山登りは心で登る運動でもあります。視
覚や聴覚が失われても山に登れるのは、強
い意思を持ち続ける人間の成せるわざです。

(初出:月刊誌『女性のひろば』2023年8月号)


写真と文:関 良一(親子山学校主宰)


【参考資料として】
★優れた音楽映画をいくつも作ったケン・ラッセル監督が、英国放送時代に晩年のディーリアスとエリック・フェンビーの交友を描いたテレビドラマ「ソング・オブ・サマー(SONG OF SUMMER-DELIUS)」。モノクロ、75分。https://www.youtube.com/watch?v=Jy8Crdh3Mh8
★「ソング・オブ・サマー真実のディーリアス」エリック・フェンビー著、向井大策・監修、小町碧・翻訳、アルテスパブリッシング・刊